文・水中写真 武本 匡弘
1998年南米チリ沖で発生した、エルニーニョの影響は地球規模で、海洋環境に決定的なダメージを与えました。
この年沖縄では、台風の直撃や接近がほとんどなかったため、海水の攪乱が起きないまま異常な水温上昇を招き、
そうとうな割合でサンゴが死滅してしまったのです。
また、他地域でも、例えばインド洋では7割以上のサンゴに水温上昇による白化現象が起こり、やがて死に至らしめてしまいました。
私がダイビングを始めた頃、1970年代の素晴らしい生態系を誇った「豊饒の海」は、あっという間に見られなくなったのです。
どの国、どの海に潜っても瓦礫のように広がったかつてのサンゴ礁の海が広がってしまっていたのです。
それでも、以前に見られた海中の素晴らしい景色があきらめきれず、健全で元気なサンゴの姿を求め、太平洋の真ん中に位置する中部太平洋マーシャル諸島を訪れることになったのです。
それは、今から8年ほど前の事でした。
一年中貿易風が吹き、大陸の影響を受けない「環礁の国」マーシャルで潜ったときの感動は、今でも鮮明に覚えています。
地球上の多くの海を死に至らしめた毒牙は、はるか太平洋の環礁の海にはまだ及んでいなかったのです。
しかし、その時の訪問では思いがけない出会いがあったのです。
それは、日本から海外協力隊として島の医療に携わるボランテイアの姿であり、アメリカが持ち込んだ消費社会により、健康を害している多くの島の人たちの姿でした。
そして、その時ふと「ビキニ水爆実験の人達」と言う漠然とした記憶がよみがえったのです。
そのことに触れた話では、現地の人たちにとって「ビキニの人達」は何か別の国の人達の出来事、と言うような話しぶりだったことを憶えています。それ以上の話にならなかったマーシャルでの滞在で、私はとにかく健全なサンゴに出会うことができたことに満足感を覚えるだけでした。
しかし、それ以来「ビキニの人達」のことが気になっていました。
そして、それからさらに数年後、地元葉山で、島田興生さんと出会うことになったのです。
約40年に渡ってビキニを追い、そのうち7年間自らマーシャルに移住して取材した映像の数々は衝撃でした。
そこでビキニでの真実、ロンゲラップで起きている事、それらが現在も続いていることなどを知る事になり、皮肉にも「ビキニのその後」そして真実を、現地マーシャルではなく、日本に帰ってから知ることになったのでした。
この台本を書くにあたっては、最も影響を受けた島田興生氏の著書「還らざる楽園」をベースにさせて頂き、そのほか数人の方の著書を参考にしながら、自分自身が現地マーシャルに出向いて、幾人かのロンゲラップの被曝者から直接話を聞くことができた事も書き加えています。
今自分が、それらの仕事を通して、ますますビキニ、ロンゲラップ、そしてマーシャルのへの想いが強くなっているのを自覚しています。
台本を書くにあたり、以下の書籍を参考にさせて頂きました。